« 4/21TFP勉強会、22-23ビッグサイト・フラワードリーム | トップページ | 市村一雄編『切り花の日持ち技術』(農文協、2017年3月刊) »

2017年4月 8日 (土)

鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』(岩波文庫、2013年) 阿波の木頭 訪問年次の誤り

■2017年4月8日(土)

 本日は三島町集落誌の聞き取り調査。

 午後は滝谷地区(2時~)。

■ 4月4日~5日、その後に購入した関連書籍の中味が正しいのかどうか、同時代資料を含め、木頭訪問の日時等を確認した(7日)。

 
 
■ 徳島市生まれの人類学者・鳥居龍蔵(1870-1953)。岩波文庫より『ある老学徒の手記』が刊行されている。晩年の昭和27年に書かれたものである。翌年1月に82歳で死去している。本書はその年に朝日新聞社より出版されたものの文庫版である。
 
 
 台湾調査時代(115頁~142頁)、阿波の木頭(143~144頁)がある。
 
 『ある老学徒の手記』の143頁では明治30年の夏、木頭を鳥居龍蔵、東京帝国大学の人類学教室室員の玉置繁雄の2名が東京から神戸経由で徳島を訪ねている、となっている。巻末の年表もそうなっている。
 しかし、同行した玉置の詳細な報告は『東京人類学雑誌190号』(明治35年1月)に「阿波国木頭山土俗」として掲載され、調査はその前年の明治34年となっている。したがって鳥居龍蔵の自伝の記載は記憶の誤りで、同行した玉置の記録明治34年8月が正しいと思われる。
 玉置も徳島県那賀郡中島生まれで、鳥居龍蔵の里帰りに同行した。
 
■ 4月5日に訪問した徳島市八万町向寺山の徳島県立鳥居龍蔵記念博物館より購入した7冊の報告書でも確かめたが、鳥居龍蔵の木頭訪問は明治34年(1901)年となっている。
 
『みんなで学ぼう 鳥居龍蔵』(2011年)26頁の年表。
 
『展示解説』(2011年)16頁の地図。
 
『展示解説 第2集 地図に見る鳥居龍蔵の足跡』(2012年)の20頁。
 
『鳥居龍蔵 世界に広がる知の遺産』(2016年)。
 
20170407dsc04884 
 
20170407dsc04866 
 
20170407dsc04892
   明治30年× 明治34年○
 
20170407dsc04893
 
 
20170407dsc04894
『鳥居龍蔵 世界に広がる知の遺産』(2016年) 木頭訪問は明治34年
---------
■福島市在住の高橋八重子さん(1934年生)がまとめた『藍のいのち』(1995年)に「阿波の太布」が掲載されている。初出は『比較文化研究 27号』(1994年)、『同30号』(1995年)、『福島女子短期大学研究紀要25号』(1995年)である。
 
 論文を福島県立図書館で読み、手紙を書くと2月22日着で『藍のいのち』が送られてきた(2月14日付)。2月26日に自宅を訪ね玄関でお礼を申し上げた。
 
 
 
 この高橋八重子論文のなかに『東京人類学雑誌17巻190号』(明治35年1月刊、1902年)の玉置繁雄の論文「阿波国木頭山土俗」が引用されている。
 
 この原著をインターネットで読むことができる。19頁分
 
 
 鳥居龍蔵は明治30年としているが、玉置繁雄は明治34年の8月の帰省での調査としている。8月20日に木頭の出原に着いている。同行は門田氏、荷物人の計4人。
 調査目的は8月21日、22日と宿泊した木頭の宇井ノ内の上地の豪農 丸山松三郎に会い、話しを聞くためのようである。
 また折宇の岡田家の秘蔵の由来一冊も、来歴を示した重要な書であることが記されている。折宇殿富田、また木地屋が筒井より延享三年に来て営む等。(143頁)
 太布については「木頭太布とて名高し もとは専ら村民の着用せしものなるが、現今は木綿と交換して多く綿服を着するなり」(145頁)
 
 

« 4/21TFP勉強会、22-23ビッグサイト・フラワードリーム | トップページ | 市村一雄編『切り花の日持ち技術』(農文協、2017年3月刊) »

阿波太布 とくしま木頭」カテゴリの記事

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31