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2017年5月 1日 (月)

今日から5月、畑には残雪有り30cm アシアト(足跡)もコヤシ(肥料)

■2017年5月1日(月)

 
 今日から5月。でも例年よりも多い雪。畑には残雪30cm。水田にも残雪。大岐。
 
 今日は午前10時に喰丸、その後15分に昭和村野尻中向の通称・雪室yuki-muro かすみ草の集出荷施設に台湾からのお客様3名を案内。

 午後6時は下中津川・昭和村公民館、昭和村文化財保護審議会。
 
 
■ 4月30日(日) 昭和村喰丸kui-maru から大岐ohmata、柳津町西山経由で三島町西方nishi-kata の西隆寺に遠藤由美子さんを訪ねる。その後、カタクリ群生地の大林oh-bayashi、半沢さんのアトリエ、生活工芸館、どんぐり。午後に会津坂下町塔寺の やはたコミュニティセンターで、会津学研究会例会。ふくしま本の森。そして喰丸体験住宅に戻る。
 
 
 馬藍さんに台湾藍の復活の取り組みについて話していただいた。台中での大地震、台風洪水等の災害からの復活と、島内藍の調査・栽培、藍を通して台湾文化の復活の道筋をご自身の体験を語っていただいた。多くの聴講者に支えられた学習会は無事に終了した。
 エスノボタニー(民族植物学)という考え方がある。
 馬藍さんは、「経済作物」「文化作物」というご自身の研究者としての概念を用いている。18世紀から19世紀、台湾島は日本の藍とは異なる台湾藍(どろあい)を中国大陸に出荷して大きな産業となっていた(経済作物)。しかし化学合成藍の登場でそれはほとんど消滅してしまった。それを復活するための20年の足跡。
 
 研究会終了後、夜、主催者で会食をしたが、そのなかで、奥会津地域の農業のあり方について、示唆にとんだかつての村人らの表現を話された。それは、キリ(桐、kiri、樹木)栽培の話題のなかで、
 
 
 「あしあと(足跡)も、こやし(肥料)になった」時代が、あった。 
 
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■ 三島町の集落誌執筆の調査インタビューを続けているが、雪が溶けて、野の畑に出ている80~90歳の人が多い。畑で少し話をうかがう。「桐の木は植えるものではない」、というのだ。
 
 
 桐栽培は、「畑のなかに、桐の芽 kiri-no-me が出てくる」のだという。種子が広く散布され、そのなかの、ひとつが発芽する。

 畑に通い、作物の手入れをするなかで、「桐の芽」が畑のなかに見つかると、家族で相談する。つまり、共通認識としてその「桐の芽」への対応を決定しなければならない。抜いて捨てるか、残すか?そんなとき、
 
 「桐の芽がでてきたから、残しておくべ」
 
 つまりうね(畝)の草を取るように、引き抜かないで、「桐の芽」を残す、発芽hatugaしてきた「桐の芽」と人間の「縁 en」を、ここから始める。桐の種子がそこで発芽して、自らの意思(環境意思)でそこで暮らす(育つ、生息する)ことの主体性が、その植物(桐の木)の生存を支えている(土壌環境)。
 
 つまり、樹木(園芸樹木)は、人間が植えるものではない、という思想がみられる。このことを、もう少し、深く考えていく必要がある。
 
 
 
■ 私たちは、現代の農業の技術観で作物栽培を考えると、大きな誤りを起こす。その前に地域の人々の暮らしを支えた植物群については、エスノボタニー(民族植物学)の方法論、、、、つまり、植物と人間の関係、、、、それはその土地に暮らしてきた人々の基層文化 kisou-bunka をていねいに調べ、自らその内容の時間をかけた考察をしていかないと、「短絡的」な「経済原理」でしか過去のいとなみを考察できなくなる。

 世界各地で、認同nin-do (アイデンティティ)のための、その地域の作物・植物利用を復元する作業が行われている。しかし、その行為のもつ意味を知るためには、それが営まれた同時代思想で考える技法が必要になる。
 
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■ 会津学研究会例会(台湾藍)についての記録
 
 
 
 
 
Dsc06971
 
  馬藍さんの報告より
 
Dsc06972
 会津学研究会例会。次回は6月4日午後1時30分、同所。須田雅子さんの報告。からむしと人々の物語(奥会津と沖縄)。
 
 
Dsc06976

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