三島町の基本文献等

2017年5月15日 (月)

三島町浅岐、間方のゼンマイ干しと漆木ザル

■→ 2017年5月14日 三島町浅岐、間方のゼンマイ干し・もみ・漆木ザル。ウルシキザル。

2017年4月27日 (木)

浅岐訪問

■ 4月27日(木)小雨、晴れへ、風有り

 
 朝、雨のため、三島町浅岐地区訪問し、追加調査等をした。その後、山びこ(編さん室)。曇り、晴れてくる。
 
 午後より、ハウスに屋根ビニル被覆作業を行う。風が強くなってきている。
 夕方は大芦家へ。練習会。
 
 
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  浅岐
 
 
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 山びこ
 
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大岐 ohmata
 
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   角畑1、2(ビニル被覆)
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1696年(元禄9年) 滝谷川小野川(小ノ川)村落合川口出入

■2017年4月27日(木)雨

 本日は、4月18日に定植したエクセレンス(4月15日、ピンチポット苗購入)が10日経過するので、はじめてジョーロで手かん水。

 雨が上がれば、角畑2号ハウス(エクセレンス雪下越冬株)をビニルで被覆する(無加温促成栽培)。

 午後6時30分(5時)より、ファーマーズカフェ大芦家にて、6月3日公演のためのNB練習会。

 明日(28日の午後)は、台湾より来日中の馬藍さんが来村される。30日午後に坂下にて会津学研究会例会で講演される。他所へ移動される5月4日までアテンド(応接)する。

■ 元禄9年4月17日(グレゴリオ曆 5月17日)、只見川と滝谷川の合流部にあたる滝谷川の河口部の小ノ川村で御私領(会津藩)12ヶ村(沖・宮下・田村山・沢田・細越・田沢・朝立・小牧・椿・矢坂野・出倉・郷戸)と御蔵入の名入村から21名が集まり、小屋をかけ、魚を獲った。不明のうち3ヶ村は柳津・高田・和泉。

 滝谷村から46人が現場に行き、小屋を引破り、とふあみ(投網)、魚を取り上げる。

 後に、4か村(細越・柳津・高田・和泉)のものが訴訟状を会津藩に提出する。

 この出入(訴訟)は、江戸表の幕府での裁定となる。

 一方、なぜ、この日に、16ヶ村・21名が集まり、この集まった人たちはどのような集団(連絡網)だったのか?獲った魚はどのようにしようとしていたのか?

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2017年4月23日 (日)

馬頭観音 batou kan non 滝谷の大峯古道

■4月23日(日)晴れ 風有り

 滝谷から古道である大峯街道を一人歩く。馬頭観音を探して。
 
 行きには発見できず、帰り道に確認できた。
 なぜ行きに見つけられなかったのかを考えている。
 これは帰り道に正面に出てきた。
 
 
 
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  安政六未八月吉日  1859年
 
 
 世話人 目黒貞蔵
   (若)林金三郎
 
 
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 ヨキ(斧)を持つのは、珍しいのではないか?
 
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  大峯街道(古道)。
 
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 昭和62年12月、トンネル L 157.5M  福島県
 
 
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  うわたきや
 
 
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    シモダテ
 
 
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 若林
 
 
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昭和村大岐 2017年4月23日 
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 タカバタケの角畑の除雪後、圃場が出る。ここにハウス建て作業が今後の仕事。
 
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2017年4月16日 (日)

滝谷の畑(アラマチ、オオガノ、ワカバヤシ)

■2017年4月16日(日)

 
 15日(土)は三島町滝谷地内の畑を歩いた。曇り、小雨、雨となり午後からは本降りの雨。2時に名入の山びこにある町史編さん室にK氏を訪ね、打合せ、既存文献等を閲覧した。

 近世後期の奥会津では、先祖調べ(系図書き)が流行し、山ノ内家の家臣である、という認同(アイデンティティ)が形成されるが、その領主支配者層はすでにおらず家臣団のなかから郷頭・名主(肝煎)が実質的な支配をしている。
 しかし幕府・会津藩が交互に支配を行うという、幕府直轄領・預かり地という、上部支配機構がふたつ存在するなかで、なぜ祖先の物語が必要であったのかを考える必要がある。

 今回の滝谷は中世と近世をつなぐ時期に残された歴史に登場してくる。

 また近代から現代のなかで、この4月の調査で、昭和30年11月に亡くなった滝谷山内氏16代目の藤吾郎翁という人の歩み(意志の強さと行動力)に気づいた。

 初代俊政(文禄2年没)、2代俊基(天正17年、摺上原(すりあげはら)合戦戦死)、、、、南山御蔵入騒動での8代目の滝谷組郷頭の吉右衛門豊俊についてのいくつかの記述があるが、16代藤吾郎について記載された文献は無い。


 
 この1週間の滝谷調査で歩いて、畑や道で出会う人話して感じるのは、岩谷城(がんこくじょう、巌谷城とも)と言っていない、ということ。
 「シモダテ」と言う。「下館山」とも言っていない。暮らしの中では「シモダテ」と呼ぶ山となっている。
 駒啼背峠の南尾根は「シモトウゲ(山)」、北尾根は「カミトウゲ(山)」。近世後期に会津藩が編さんした新編会津風土記の檜原村の項目では下峠山、上峠山と表記されている。

 
 シモダテから東に延びる尾根(防御ライン)と、キノバ(木戸場)という道路遮断の場所、そこに至る畑を、考えながら歩いた。
 
 
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  現在の峠、抜けて左がワカバヤシ、右に迂回して水田地帯の上滝谷地区。 
 
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 上滝谷の崩落。中世後期、弘治元年の地震による、といわれている。
 滝谷は、この地震から物語ははじまっている。
 
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 上(ウワ)滝谷の水田   

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 ワカバヤシの桐。
 
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 オオガノ(大我野)。火野、焼畑を奥会津ではカノと呼ぶ。
 
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畑の人に話を聞いてみる。
 
昨年のビニルマルチを剥ぐ、畑仕事をされていた。話しをうかがった。電動カートで坂道を移動して通っている。20分動いて10分腰掛けて休んでいる、という。90歳。
 
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 ワカバヤシ 
 
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  アサヅキ(山菜)。土手にある。取った跡。  
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 木を伐っていた人がいたので、近づいて話しかけると常廣さんだった。周囲の土地の呼び名などいろいろ聞き、教えていただいた。
 
 
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 アラマチ(新町)の畑から見下ろす滝谷集落。
 
 
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後方左の山・岩壁がシモダテ(岩谷城)  。右の青い屋根の家(もとは茅葺き)が山ノ内氏居宅。松が植えられている。
 中央から右に登る道が旧道で、アラマチ、オオガノ、ワカバヤシ、上滝谷(水田)と続く。
 
 
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  集落南部にも山がある。
 
 
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  昭和9年に建てた石碑。明治27年に上滝谷の堰組合。
 
 
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 井戸跡
 
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西方の山内為之輔先生の筆写した資料。
 
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 藤吾郎の筆跡。
 
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昭和8年 せがれ藤四郎が写す。俊政十六代孫 山ノ内俊舜 主  (藤吾郎)
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 大成沢の博士沢の架橋工事。
 
 
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 大岐のタカバタケ、角畑の除雪。雪が堅いので午後に除雪(軟化してから)。
 
 現在の雪は、日中でも長靴で歩くことができる。カンジキは不要。かなりしまった雪。
 
 
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  クリノキを伐採した。
 
 
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   トビとドットコ。
 
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 昨夜、ツバメは玄関に泊まった、という。
 
 
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 かすみ草 エクセレンス(極早生、大輪種)
 
 
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  フキノトウの酢の物

2017年4月15日 (土)

滝谷 巌谷城(岩谷城)の踏査


■2017年4月15日(土)


 
 本日は、昼頃に昭和村大岐。かすみ草苗が来るので仮植作業。
 
 
■ 4月14日(金)晴れ。三島町滝谷の調査。金竜寺並びの土蔵が1棟が解体作業。夕方に五十嵐光栄さんに詳細をうかがった。
 昼すぎに、「シモダテ(下館)」に登攀した。急傾斜の岩石路で、登るのにかなり時間がかかった。山頂平坦部にはスギが植林されているが、1本針葉樹があり、その脇に石碑があるのを確認した。
 昭和50年ころに山頂部のスギは1回伐採したようで、光栄さんは伐採前のスギのケンチのために一度登ったことがある、という。お寺の所有になっている、ということだった。
 
 五十嵐栄さんにも話しをうかがったが、山頂には井戸があるが、杉の木などで埋まってしまった、と語られる。
 
 
■ 18時よりファーマーズカフェ大芦家で、大芦に住む須田雅子さんの報告会があった。『苧麻をめぐる物語』。優れた調査報告でした。事象をいかに見るか、そしてインタビュー。よい言葉を採録された。大芦家主催で行われたため、参加者もたいへん多かった。佐藤孝雄さんにも感謝です。
 
 
 
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  シモダテ。巌谷(岩谷)城。山頂より右側(東側)が旧街道。

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 シモダテの山頂より南東方向の上滝谷地区の圃場
 
 
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 シモダテの山頂より北方向。JR滝谷駅のある柳津町中野。
 
 
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針葉樹(モミノキか?)の脇に石碑。
 
 
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 岩谷城俊政之城跡

 十六代孫 俊舜 建

 基礎部にはコンクリートで固定している。




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  石碑、針葉樹(モミノキ?)その隣り、写真中央部のくぼみが井戸跡か?
 
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   滝谷集落。中央の針葉樹の左の青い屋根の家が近世の郷頭を勤めた山ノ内宅。
   中世後期戦国時代に山ノ内俊政が会津横田より来て、2代目の俊基が磐梯町・猪苗代町の摺上原で蘆名家中として伊達政宗軍と戦って破れた。
 角田伊一氏は『福島県の中世城館跡』193頁で、天正17年(1589)の摺上原の戦いで俊基は家臣47人と共に討死している、としている。 
 若い人たちが従軍したものだろう。
 
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 大成沢の架橋工事(博士沢)。
 
 
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■ファーマーズカフェ大芦家での報告会。須田雅子さん。
 
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 ミミガイ。これでブー(苧麻、からむし)を挽く。
 
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 外皮1枚の、茎部(内側)よりミミガイの刃を当て、外皮(表皮)を浮かせる。
 
 奥会津昭和村の場合の「ソヒカワ取り(祖皮取り)」に似た技法。
 
 
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  小浜島内の ブー(苧麻)の畑。庭にあり花壇のような造り。藍も育てている。
 コンクリートの強度試験に使われた円筒状のテストピースで囲われている。
 
 
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  このカラムシ畑(苧麻)が適正規模。暮らしのなか生かされるための「すてきな植物」となる。産業化への道は伝統を見失うもので、暮らしの、近くで生きるためには、小浜島のからむし栽培は未来の在り方を示していた。
 須田雅子さんの2年間にわたる昭和村と沖縄の島々でのフィールドワークは、とてもよい未来像を示していた(菅家博昭)。
 
 
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大枝沢天狗神社、12日祭礼。
 
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 4月12日の朝6時30分より、道付け(階段)、ハタカケが行われた。  
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2017年4月14日 (金)

何かしなくてはいけないが 何もしないという悪循環ではいけない。滝谷山ノ内16代藤吾郎翁のまなざし

■2017年4月14日(金)


 昨日は雨、雪の日でした。
 かすみ草部会の総会が開催されました。洋子さんが出席して、帰宅後、話しを聞きました。
 全農福島の花担当だった中島さんが退職され、新しく福田さんという方が着任されたそうです。また村長が入院しているために昭和村副村長(県庁から出向されている)が代理で挨拶、柳津町長も挨拶されたそうです。
 かすみ草部会は昭和村・柳津町・三島町に会員がいます。
 金山普及所も大河内氏が転出され、小林祐一氏が着任されました。

   → 台湾からむし旅の最終回  (4/16会津学研究会例会で報告)

 
      → yuma taru     動画(原語)


 私は三島町集落誌調査を継続しています。

 今夜18時、ファーマーズカフェ大芦家で須田雅子さんの卒論報告会があります。静岡等からも聴講者が来られます。10名程度。
 16日の午後1時30分、会津坂下町塔寺の本の森の隣りにあるコミセンで、会津学研究会例会があります。昨日、報告者の武藤氏から電話があり中国の建築調査の報告内容について1時間でお願いしました。残りの時間は台湾からむし報告となります。

 
■ 昨日の夕方は、JFMA専務理事-MPS社長の松島義幸さんから長い電話がありました。21日の午後、葛西市場TFPでの花の勉強会には、花の国日本協議会の会議があり参加できないが、夜の交流会(幕張)には参加する、とのことでした。22日ビッグサイトJFTDフラワードリーム展示会には行く、ということでした。今年の日持ち認証事業の内容について、課題点をうかがいました。
 

 
■ 磐梯町入倉に、山ノ内俊基之墓を建てたのは、三島町滝谷の滝谷山ノ内氏の子孫の16代目、藤吾郎という人(明治11年ころの生まれと推定、1878)でした。
 藤吾郎は、65歳の昭和18年(1943)の春から、350年も前に戦争(伊達と蘆名の摺上原の戦い)で亡くなった2代目の俊基の戦没地を7年かけて探しだし、昭和25年4月8日に供養の法要を現地で行っています。藤吾郎72歳です。祖先の戦没後361年ほど経過しています。思い立った動機、なぜこれだけ戦死者の供養に執着したのでしょうか?時代背景として、銃後のものの役割・義務でしょうか?

 そして8代目の山ノ内豊俊こと吉右衛門(郷頭)の頌徳碑につながる碑文の撰文を西方の山ノ内為之輔博士に依頼し昭和26年に出来上がります。

 昭和30年3月、藤吾郎は自費出版で、山ノ内為之輔『享保時代郷頭 山ノ内吉右衛門伝』を発刊します。このとき藤吾郎77歳です。この冊子3頁に(現存77歳)と書かれています。
 
 その後、昭和36年、滝谷金竜寺参道脇に吉右衛門の頌徳碑が建立されます。裏面の建立者(寄付により建てられたので芳名録)には藤吾郎の記載はありません。分家の山ノ内氏の名のみです。

 こうした経過のなかで、入倉に石碑を建て、滝谷岩谷(がんこく)城の山頂に石碑を建てたと思われます。こちらには16代孫俊舜と記銘があります。藤吾郎は俊舜でしょうか?入倉には記銘がありません。なぜでしょうか?

  まず、同時代資料で探してみることとし、昭和25年4月の新聞記事で、磐梯町入倉地区での供養祭が掲載されていないかどうか?そしてそこのことを知っている人(入倉地区、滝谷地区)を探し出して調べる、ことをはじめます。

■できること、できないことが、時代状況により異なります。何かしなくてはいけないが 何もしないという悪循環ではいけない。

 
■三島町の月刊の広報誌の5月号(町史編纂だより16)の原稿、浅岐2-新道峠について書いて、編纂室のKさん宛に送りました。
 
 昭和村の広報誌の6月号の原稿も、未明から書きました。
 
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 宇高良哲編『南光坊天海関係文書集』(青史出版、2016年10月刊、1万円)  

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  山ノ内吉右衛門の著述について、大塚実『私の会津史 7』(2002年)に書かれている。山ノ内為之輔の前掲書の論考を参照している。
 三島町史編纂室のKさんから、会津藩の学者・横田俊益による滝谷・檜原の山ノ内氏についての論考(天正山内記等)も、参照されたい、と連絡があった。
 
 
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2017年4月12日 (水)

滝谷城主山ノ内俊基、1589 天正17年6月5日、磐梯山麓摺上原で死す


■2017年4月12日(水) 小雨 強風 寒い

 
 会津図書館で文献調査。1589 天正17年6月5日、磐梯山麓摺上原で伊達政宗軍と戦闘し蘆名軍 滝谷城主山ノ内俊基、死す。
 
 耶麻郡磐梯町で現地踏査。入倉地区の水田地帯にある「山ノ内俊基之墓」の探索。磐越西線入倉踏切の北側の農道脇に残された場所の丘上にあった。
 
 裏面には「瀧谷岩谷城主 摂津守 十六代 孫 建」。

 脇に五輪塔3基。

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 明日(13日)も調査の継続。

 建立者と建立時期が不明である。
 
 滝谷地区の寺参道階段北に建つ山ノ内吉右衛門の頌徳碑が昭和36年である。

 
 『三島町史』の編纂委員長は山内為之輔博士(出版刊行時には故人)で、為之輔が著述した『享保時代郷頭 山ノ内吉右衛門伝』を昭和30年に山ノ内藤五郎(滝谷居平473)の発刊している。碑文が撰文されている。これは頌徳碑に重なるもので、祖先の顕彰が行われたのがこの時期。

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 斉藤哲子著『河沼郡柳津町 中野村の出来事』(2010年)31頁では、岩谷城踏査により碑文の拓本を取り「岩谷城俊政之城跡」、裏面に「十六代孫 俊舜建」と書かれたものであることがわかっている。
 十六代孫というのは共通している。
 
 
 これと同時期に磐梯町入倉踏切近くの山ノ内俊基之墓も建てられたのではないかと推察している。あるいはその前の時期。今後調べる。
 
 4月8日の調査で五十嵐光栄さんから閲覧を許された滝谷の若林茂著『故郷は遠きにありて思うもの』(平成8年正月、八十八歳)によると磐梯町入倉の俊基が亡くなった場所は、同町入倉の田中信詔氏の協力で場所を特定した、という。それまで亡くなった赤留坂という場所を磐梯町で何度も探した、ということが書かれてある。

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■ 4月14日、再調査後、写真。磐梯町入倉地区、入倉踏切の近く。
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 『三島町史』
 ↓現在4月10日撮影
 
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  滝谷の顕彰碑
 
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 奥の中央が滝谷岩谷城(巌谷城)
 

The Lumineers:プチパール研究会:水害常襲地

■2017年4月12日(水)

 
 12日~14日と、日中は集落誌調査(4月8日より続く。農作業がはじまるので集中調査)。

 奥会津の中近世の村落形成の在り方を考える時、共通点がいくつかあるが、そのひとつが支配拠点(大庄屋・大割元・郷頭)を置く場所が水害常襲地である。
 現在の調査の三島町の場合、近世大谷組16ヶ村は大谷村に郷頭宅を置く(郷頭宅は水没しない高台)、近世初期慶長4年の奥会津の186ヶ村支配の大割元(大庄屋)が置かれた滝谷村、近世は滝谷組15ヶ村の支配拠点が幕末まで置かれたが、ここも水害常襲地である。滝谷村に至っては河岸段丘上の散居が河川沿いに下がって街路を形成している。
 現昭和村の野尻村も野尻組9ヶ村の郷頭宅がおかれ、ここも洪水常襲地で、その河川の下端である。

 郷頭が置かれる集落はその主河川の河口近くである。そしてその河川名が郷頭村名の呼称となる。中津河郷は野尻郷に変更される。

 縄文時代の奥会津の情況にも似て、中期の集落が高台に形成され、それが後期・晩期には河川近くの平坦地に下りてくる(河川に近づく)。
 
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■昨夜の会津若松でのプチパール研究会。8名。千葉県南房総市の金井園芸の出荷規格の検証(事例研究)をした。現状では日本最大面積栽培の金井園芸の冬春作出荷を受けて夏秋に継続出荷できるような体制を組む。

   →金井園芸
 
 草花類の風合を維持するため葉を残す、結束部の葉は除去する(水浸かり部は品質維持の点からも葉取りする)。ニオイ抑制前処理(クリザールSC30倍液)を行う。
 出荷規格は栽培特性を生かすため原則 60cm、50cm、40cmとしセンチ表示とする。
 入本数は適宜検討する(エルフバケット出荷)。

 
 栽培はフラワーネット2段・3段張り。
 切り前は出荷時期により最長花持ちを確保できる切り前にする。
 販売にあたっては「プチパール」とし、かすみ草としない。
 かすみ草とすると、かすみ草の価格変動に連動してしまう。
 安定中値販売。
 
 プチパール研究会のニュースレターを会員内に配布(世界の栽培規模と日本の現状等)

 
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スペインのチピオナ村(かすみ草栽培村)のプチパール 
with Petite from Flores los Rizos in Chipiona
 
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■ 昨夜のプチパール研究会で話題となったルミナーズ
 

 
 

2017年4月11日 (火)

中川井(大登)の碑

■2017年4月11日(火)曇りのち雨


 午前8時 三島町内の調査。大登の中川井ほ場整備碑(明治39年~40年)。建碑は昭和年代。
 

 
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大登 橋本
 
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  三島町川井 かすみ草ハウス
 
 
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  西方
 
 
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昭和44年6月13日開店   
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