からむし(青苧)などの生産 歴史等

2017年4月 6日 (木)

宮崎県高千穂のカラムシ(かっぽんたん) ラミー鎌

■ 広報しょうわ 4月1日号の掲載、 連載40号 宮崎県高千穂のカラムシについて。ラミー。かっぽんたん。

 
 
 
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2017年4月 5日 (水)

クサカジ

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 図書館ロビー展示

カラムシはメカキをしますか?

■4月4日。


 コウゾは、1週間から10日間に一度芽掻きをして枝を付けないようにして1本の幹を育てる。カラムシはメカキをしますか?
 
 
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    コウゾの芽欠き 8月
 
 
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  平成21年10月8日 徳島新聞。からむし織姫。舟木容子さん。

 太布庵内に貼ってあった。
 

昔は、なんでも、ワラで作った(ふのりつけ) 太布織

■ 4月4日調査。


 昔はなんでも、ワラで作った、という。道具。
 太布織のとき、縦糸にフノリ(海藻)を付けながら織る。
 
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 コウゾ

 竜の髭 深きに腰を 下ろしけり アイコ
 
 
 鮎のことを「アイ」と発音する、という。
 
 
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 龍 tatsu,ryu  の ひげ

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 太布となる原料 加工されたコウゾ
 
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 コウゾの畑 
 
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   カヤ
 
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  二カジの場所   
 
 
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  コウゾの内芯。焚き付け用。
 
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   ここで水に浸け、河原で寒気にあてる。

 昔は、畑の土の上で行った、という。
 
 
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  サクラ。  

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改良窯とクサカジ(太布 kusa-kazi).ヒュウジ(苧麻、カラムシ)

■2017年4月5日(水)

 
 本日の午後、四国から本州島に渡る。
 
 
■ 4月4日(火)晴天、気温上がる。徳島県内の西部山間地のサクラも咲きだす(3分咲)。午前8時30分に高知県香美市側から四つ足峠(トンネル)を越え徳島県那賀町に。トンネル内の入口で工事のため、かなり時間を待つ。旗を振っている交通整理の指示を待つ。赤い旗は進行禁止、白い旗が通行可能。
 トンネル内の進行方向の左側走行路の舗装の補修が行われていた。これ以降、無人の2灯式縦型の信号(赤の時は進入禁止で表示されている数値が減数され0になると緑色点灯となり通行ができる)が、落石工事場所等に多く設置されている。
 
 午前9時から午後1時30分まで、木頭地区の炭焼き、太布に関する現場(畑、川、蒸し場、太布庵)を見学する。関係者の皆さんには本当にいろいろと教えていただきました。ありがとうございました。
 サクラが咲はじめ、陽光も春のものでした。
 その後、レンタカーで移動し、徳島市に午後6時ころに着く。
 
 
 
■ 「ヒュウジ hyuzi を山から採ってきて出すと男の学生服になって戻ってきた」と中山アイ子さんが語った。戦時中(第2次世界大戦)のことで記憶している、という。ヒュウジとは苧麻(カラムシ)の土地の呼び名である。
 
 
 阿波太布製造技術保存伝承会の大沢善和会長(木頭図書館館長)は、「ヒョウジ hyozi」と発話される。文献ではアサ、カラムシなどを含む繊維植物の総称で、カジは含まれないとする。
 
 
 カジノキーーークサカジ(加工の手法)、コカジ(葉が小さい)、マカジ(ほんとうのカジ)
 
 ヒメコウゾ
 コウゾ(アカソ、アオソ)ーーー二カジ(煮カジ、加工の方法)
 の4種から植物繊維を取り出していた。あるいは紙を漉く原料ともしている。
 
 
 
 生木から外皮を取り出し繊維取り出しに向かう「クサカジ」と呼ぶものと、大きな鉄製の窯と背の高い木桶で蒸す「二カジ(煮カジ)」のふたつの技法がある。あるいはこれ以外の技法があったのかもしれない。
 
 作業呼称にはすべて「カジ」で呼ぶ。カジカリ(刈り)、カジ蒸し、、、、等。
 
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■ 木頭 北川地区 → 山川空のがっこう
 
 
 
 
 
 
 
 
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 四つ足峠トンネル 高知県側
 
 
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   木頭 北川
 
 
 
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  カヤ(ススキ)を敷く。ユズ畑?。
 
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 ツヅラカズラの1本で巻く。
 
 
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2017年4月 1日 (土)

阿波太布の里へ(4月4日(火曜)公開日) awa-tafu kazi kouzo

■2017年4月1日(土) 曇り

 関東地方は降雪予報。桜前線は寒さで動かず。
 4月2日(日)に広島県へ。甥が小学校に入学する。
 3日に四国に移動し、レンタカーにて、高知県側から4日(火)は朝に徳島県那珂町木頭地区へ。午前、木頭の和無田の太布庵阿波太布製造技法保存伝承会)を訪問する。阿波太布、コウゾ樹皮の繊維を糸にし織る取り組みを取材する。3月31日にほぼ視察先が確定した。たふ。tafu
  地元では「カジ kazi」と呼ぶ。

 火曜日のみの公開のため、この日の訪問。

楮(こうぞ)は紙にするため奥会津でも栽培していた。コウズと発音する。クズ(葛)はクゾと呼ぶ。

 
 
 
 特に興味を持っているのは、1月11日のフェイスブック記事
 朝日で川面がきらきら輝く中、
 川に一晩浸けたカジ皮を引き上げ河原に広げて干しました。
 今朝は大きな霜の朝。
 朝の冷え込みが楮をより白く、柔らかくします。
 明日もぐっと冷え込みますように。  太布を作り続けることができるのは、
 こうして川も清く美しいから。
 守っていくべきは、太布の製造技法だけでなく、
 美しい川、楮を育てる土、お日様、
 暮らしの中から出てくる雑木の灰、
 米を作る過程での籾殻やヌカ、
 そして人との協働という、
 山里での暮らしそのものだということを太布に関わって学ぶのでした。
 まだまだ修行中でございます。(G)
 
 (FBより転載、写真も)
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■ 4月1日(土)午後1時30分、大岐の新年度の行政地区世話役の亨さん宅にて役務引渡(引継)。2時より大岐の法事に出席(正月に亡くなったモト子姉宅)。
 
 
■ 戊辰戦争の大芦戦争(現在の昭和村大芦)で戦死した佐藤音之助。供養(墓)碑を管理する佐藤孝雄氏。→ファーマーズカフェ大芦家、供養碑が昭和村文化財指定へ。
 
 

2017年3月29日 (水)

漂流民・漂着民

■2017年3月29日

 
 
① 伊波普猷『をなり神の島1』(平凡社 東洋文庫227、1973年)
 57頁から「朝鮮人の漂流記に現れた 15世紀末の南島」(初出『史学雑誌』昭和2年7月5日)
 
 
② 池内敏「漂流と送還」(『岩波講座 日本歴史 第20巻 地域論』(2014年)
 
 
③ 橋本雄『偽りの外交使節 室町時代の日朝関係』(歴史文化ライブラリー251,吉川弘文館、2012年)
 
 46頁、博多商人の宋金。偽使創出のパイオニアとして、室町前期の博多商人や博多の禅僧(臨済宗大応派や曹洞宗など)。大蔵経を入手。
 真使(完全に真正であり、派遣者の意図どおりに人が移動し、外交文書がもたらされるもの)、
 準真使(外交文書は本物であるが、使者がすりかわったもの)、
 準偽使(使者は本物であるが、外交文書がすりかえられたもの(書き替え・改ざん)、
 偽使(使者も外交文書もはなからニセモノであるもの。使節の派遣名義が架空のものや、そもそも関与がない場合も)。
 
 159頁、第一波の経営主体は対馬勢力。第二波のそれは博多商人。1470年が画期。
 
 
④ 橋本雄『中世日本の国際関係 東アジア通交圏と偽使問題』(吉川弘文館、2005年)
 
 105頁から「琉球王国と博多商人 新四郎の関係」は、1479年の済州島人漂流民の送還(『朝鮮成宗実録』十年六月乙未条)。
 
 80頁から琉球使リストが掲載されており、進物は捕虜、漂流民で、回賜品は白苧布・黒麻布など。大蔵経。苧布、麻布、人参。
 
 
⑤ 松浦章 『近世 中国朝鮮交渉史の研究』(思文閣出版、2013年)
 
 
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⑥ 関西大学東西学術研究所資料集刊十三-三『寛政元年()土佐漂着安利船資料-江戸時代漂着空船資料集三』(関西大学出版部、1989年)松浦章
 
 
⑦ 関西大学東西学術研究所資料集刊十三-四『文化五年土佐漂着江南商船郁長發資料-江戸時代漂着唐船資料集四』(関西大学出版部、1989年)松浦章
 
 
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⑧ 渡辺美季『近世琉球と中日関係』(吉川弘文館、2012年)
 140頁から「中日の支配秩序と近世琉球-「中国人・朝鮮人・異国人」漂着民の処置をめぐって」
 
 169頁の注(3)で、送還の対象となり得たのは漂着した人々であるという観点から著者は一貫して「漂着民」の語を用いる。
 
 
 

2017年3月24日 (金)

大谷地区集落誌の執筆続く:常次郎氏の春夏秋冬

■2017年3月24日(金) 雪


 このところ吹雪が続き、時折曇り、また雪。
 
 三島町史の集落編の執筆を毎日夜に行っている。聞き書きノート、関連文献、調査ノートなどを見ながら、集中して終日行っている。大谷地区を400字で100枚(4万字)をようやく書いたが、まだ終わらない。今後、継続して書く。間方についても。昨年に浅岐については概要を書いている。
 
 
■福井県勝山市での はたや研究フォーラムで、金沢城調査研究所の本田秀生さんから教えていただいた書籍(古書)が今日、届いた。イラクサとは奥会津でエラと呼ぶ、ちくちくしたとげを持つ山菜。石川県の白山麓では繊維原料ともしている。

 
 朝日新聞金沢支局『常次郎氏の春夏秋冬』(朝日新聞社、1986年)

 (213頁)イラクサ 5月上旬、谷川のほとりの低木の傾斜地に、5~10本が株になって生えている。長さが10センチくらいのときはアスパラガスに似ている。先端に葉が1,2枚出始めたころの茎を折って採る。
 茎や葉に細かいトゲがあって、刺されるとチクチク痛いから注意する。
 やはり、その日のうちにゆで、水をきったあと、翌朝に簀(す、すのこ)の上に広げ、手返しをしながら2日かかって乾燥させる。
 ゼンマイなどと同様にビニール袋で保存できる。
 乾燥させたイラクサはまる一昼夜、水にひたして戻し、5、6センチに切って煮しめにしたり、クルミあえにして食べる。切り干しダイコンといっしょに煮つけることもある。
 
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(58頁) 7月から8月上旬にかけて、茎の堅さを見極めながら、カマをふるう。この時期に刈るのは、おもにスゲ、オロ(アカソ)、イラ(ミヤマイラクサ、エラ)の三種類。

 スゲは沢水がいつもぬらしている岩盤の急斜面に自生する。カマを腰ひもに差し込み、崖地をはい上がって刈る。
 
 オロ(アカソ)は低地の川沿いに多い。

 イラ(イラクサ)は石ころ混じりの荒れた斜面で育つ。
 
 それぞれの草を求めて一ヶ月半近く、山を歩く。

 繊維質が強くなる夏の間に集め、乾燥させてアマ(天井裏)に保存する。

 だれがどこで刈るかは暗黙の了解で区分けされていた。隣村へ踏み入って刈るのはもちろんご法度だった。どの家も冬仕事の材料を、自生している植物から特徴をつかみ、半年近くも前から確保しておくことが不可欠だった。「たかが草」とはとてもいえないほど重要な位置を占めていた。


 スゲは乾いているとワラより弱いが、水にはうんと強い。だからワラジやエゴ(腰カゴ)、セナカアテ(背負いかご)など、身につけるものに編み上げられた。縄になうと軟らかく、炭俵をしばるのに使われた。
 
 オロとイラは皮から繊維をとり、糸に紡がれた。畳のタテイトになるオロは、貴重な現金収集源のひとつだ。
 サックリ(作業着)にも、アサに混ぜて織られた。

 イラは繊維が太くて長く、家族の衣類に変わった。

 オロのサックリは、ひと夏もたないのに、イラは強くて毎日、山仕事に着続けても、1、2年は十分、ていねいに着れば、7、8年は保つ。常次郎がいまも愛用している紺のサックリは、14年前に亡くなった母の手織りである。

 朋子さんは昨冬、イラを糸にし、それを手機で織り上げて、ついに反物に仕上げた。毎年、12月に開かれる小原出身者の寄り合いに顔を出し、ばあさま連中から手順をひとつひとつ聞いて、覚えた技術である。数年がかりの「伝統」の継承だった。
 
 その技術は根気との勝負である。

 まず、茎の皮から繊維質を取り出すことから始まる。大なべでスコップ1杯の木灰とともに半日、煮続ける。十分、軟らかくなったところを、今度は冷たい水でさらし、アクをとる。それを石の上で1束ずつたんねんに、クモの糸ほどに細い繊維だけが残るまで、木づちでたたく。
 
 一着分に親指と一差し指でつかめる束が、ざっと300束は必要だ。

 この重労働に10日。さらに、この繊維をこよりをよる要領で極太の毛糸ほどに「のべる」のにさらに10日。それを手機にかけて二日後、やっと1反、仕上がった。

 常次郎氏の母親は毎冬、こうして少なくとも5人分のイラの反物をつくってきたという。

 「身近にあるものを、生活のなかにどんどん生かしていく。ジイ(父)もバア(母)も、山の人間はすごい知恵を持っていたと思う。しかし、それは貧しさの裏返しかも知れん。アサだけのサックリなんて、ぜいたく品じゃったもん。それだけのアサ畑すら、なかったんじゃからね」。小原では多い家で10アール、少なければ2、3アールほどのアサ畑しかなかった。

 
 常次郎氏は、春から初夏の山菜採りの時、よくこういっていた。

 「適期に摘んで、蓄えておかんと、山ではとても冬は越せん」。

 草刈りも同じこと。真夏にはや、冬の厳しさがのぞいている。

 
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 昭和34年(1959)離村、昭和42年 37戸水没。大日川ダム。石川県。

 1984年(昭和59)4月から1年間、朝日新聞の石川県版に掲載された。 


 
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 馬さんにいただいた南京豆(台湾産)。
 
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 女性誌月刊誌、旅本、地図などで大判と小さな判が同時発売されている。
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2017年3月19日 (日)

福井県勝山市、はたや研究フォーラム(ゆめおーれ勝山) はたおり体験学習

■2017年3月19日(日)石川県小松市滞在

 
 本日は、小松空港から東京羽田空港に空路移動し、東北新幹線で郡山駅。そこから自動車で会津へ帰郷する。
 
 
 明日、20日は小野川地区の総会(行政区)。21日は三島町史編さん委員会。22日は昭和村文化財保護審議会。
 
 
■3月18日(土) 東京羽田空港から石川県小松空港に空路移動し、レンタカーを借りて福井県勝山市に移動。曇り。
 羽田空港の始発便は、機体の手当てができず、別な機体となり出発時間が1時間遅れたが、ほぼ満席。春の彼岸の連休のため空港も混雑している。手荷持検査も長い列。
 
 小松空港のレンタカー、そして福井県永平寺の看板を見ながら、勝山市昭和町へ。
 カイコ(蚕)の繭(まゆ)から、糸を取り出す製糸工場だった2階建て建物を保全したものが、今回の「はたや研究フォーラム」の会場である「ゆめおーれ勝山」。主催者の皆さん、および講演をされ、まとめ役をされた福井大学の東村純子博士。講師、受講者も弥生時代、古墳時代、近世、民俗学等の織物、機織等を研究、実際にやっている方が50名ほど参加された。
 博物館学のなかでも、調査・研究・公開・地域教育、つまり地域に開かれた博物館のあり方を、探求されている関係者が多く集まって、実践の経験を持ち寄って、機織の歴史をどのように子どもに体験、学びの場とするのか、事例を多く聞いた。
 会場の「ゆめおーれ勝山」も、繭玉を利用した加工体験、卓上機織の体験等ができるようになっている。日常の参加者は多い。地域が経験した生業の歴史を、機織(はたおり)を通して学ぶこと、そしてそれは他の地域との関係性があって成立してきたこと(弥生・古代・中世・近世・近代)。また高度成長期(昭和30年代)までの、近世から続く伝統日本の民俗文化を経験された地域在住の皆さんの持つ身体的記憶、、、、アサの糸を作る(糸績み)、機織の技術の伝承、自らの農作業のための衣類を手製していたことなど「たいせつな布」の存在を思い起こさせる。
 
 
 講演の3題は、織物の歴史、発掘調査で得られた事実、その道具復元、技術復元、そして体験を通して地域の基層文化を学ぶ、、、という事例であった。そうした研究の広域的な地域研究のなかに東南アジアの機織研究、、、、そして台湾に現存する輪状式原始機の事例研究、、、約2000年前の弥生時代に日本各地で出土する台湾の機織と同型のものの存在は、直状式ではない織道具が存在したおり、そして、日本国内では、現在まで続くいざり機(地機)が導入され継続している。
 こうした古い時代の植物繊維に、カラムシ(イラクサの仲間の苧麻)、アサなどがある。
 今回の糸作り(糸績み)の実演をされた地元の2名の女性の方(昭和9年生、13年生)はアサ糸の制作の経験があり、1名の方は横糸に野生のイラクサを採取して製繊し織り込んだ経験があるということでした。話からミヤマイラクサか、採取時期から考えるとアカソの可能性があると思えましたが、いずれ後日に再調査をする予定です。
 
 
 
 
 
〇基調報告 東村純子さん(福井大学国際地域学部講師)
  「弥生時代から現代につなぐ麻糸・麻布づくりと腰機
  ~アジア諸国の事例から~」
〇報告1 下濱貴子さん(小松市埋蔵文化財センター主幹)
  「弥生時代の機織り(輪状式原始機)復元と活用
  -八日市地方遺跡出土事例をもとに- 
〇報告2 辻川智代さん(滋賀県立琵琶湖博物館特別研究員)
  「滋賀県の機織り研究と地機の復元・活用」
〇フォーラム 昔の糸・布づくりの技を未来へ伝えるために
  福井・石川・滋賀の弥生時代以来の糸・布づくりの実演・解説
  糸紡ぎ体験学習の紹介
 
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   機内 B777-200
 
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  ゆめおーれ勝山。絹の糸を取り出していた工場で20世紀末に廃業。それを保存・活用。
 
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  動力源はボイラーの蒸気。それをベルトで伝える。回転。
 
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   卓上機織の体験
 
 
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 勝山市内の地機
 
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  はたや研究フォーラム。アサを利用した糸つくりの実演。すぐれた伝承者・経験者が勝山市内におられる。岩山信子さん、西山はつ子さん(市内北谷町小原地区。白山の南西、滝波川の源流、標高500mの地域)。
 
 
 日本国内各地でも、こうした経験を持つ人々は存在し、聞き取り調査での記録は可能。   
 
 植物繊維をつないで、入れる容器(オボケ)は、奥会津のものより、ひとまわり大きい。そして、昔は、実際に、もうひとつ小さな容器があり、それには裂いた繊維を入れたという。それから取り出して、糸を績む。
 白い皿にある水。指先に水をつけて撚るが、唾液やいろりの灰も使用した、という。
 
 
 
 
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  東村純子博士の報告より
 
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   石川県小松市の遺跡出土の機織具。そして復元(クワの木)。
 石川県小松市埋蔵文化財センター主幹 下濱貴子 さんの報告より
 
 
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  滋賀県内のアサ衣類(手製)  テナシ(紺染め上衣)とヤマバカマ(きなり)
 滋賀県立琵琶湖博物館特別研究員 辻川智代さんの報告より。
 
   → はしかけグループ
 
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     フジ(藤)の繊維から糸を作り布に織った地域と、アサの繊維取り出し技法の連関について
 
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  弥生時代の布送具。2000年前。
 
 
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 東村純子博士の報告より  
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 水田稲作と機織道具。そして拠点集落から機織道具は出ているように思われる、という。
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 復元した紡錘車(木製、石製)
 
 勝山市出身・福井大学卒 織田(おりた)悠希さんの報告より。
 
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 からむし(苧麻) 滋賀県産
 
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2017年3月18日 (土)

田植えの意味  ta-ue no imi  からむし 苧麻

 ■2017年3月18日(土) 東京 羽田空港 第2ターミナルビル。北陸、石川県小松空港行の始発便を待っている。昨夕に届いた携帯電話宛の航空会社ANAからは機体調整(変更)のため事前受付・座席指定が無効になったことを知らせていた(skipスキップというサービスの停止)。

 夜に予定機を変更したことが確定し、新しい自動振り分けによる座席指定番号がメールにて通知してくる。予定通り8時の出発で機体のみ変更となった。小松空港でレンタカーを借りて、県境を南下し福井県の大野町大野の はたや研究フォーラムに参加する。機屋、である。仏教・曹洞宗の大本山の道元の永平寺の近く。奥会津は曹洞宗が多く、我が家も近世・江戸時代から曹洞宗の末山の博士山(妙典山)大乗寺の檀家である。役場の総務課長で昨年春に定年退職し、この2月に出家した下中津川阿久戸の舟木幸一氏の修行する曹洞宗の寺のあるのも福井県。戦後日本の米(水稲)の品種銘柄のトップであるコシヒカリを生み出したのも福井県の県農業試験場であった。現在は米品種は多様化しているが、福井県の仕事の意味は大きい。その試験場内で、花卉栽培の講演(私のカスミソウさ栽培・生産の品質管理)を私に依頼され、行ったことがある。隣県の金沢市で行い、その後、福井県で行った。
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 3月12日から17日までの6日間、日本列島弧の南西に連なる台湾島を思索しながら歩いた。その西には地球上で最も広大なユーラシア大陸(中国)がある。私たち日本人の思考は国境を反映して与那国島までの沖縄県のサキシマ諸島、八重山諸島(石垣島、宮古島)までへの思考しか日常的には行えないように訓練されている。日本の書籍、論文構成がそうなっている。
 与那国島から3000m級の高山を抱える台湾島は肉眼で見える距離である。
 
 この1週間に自分の目で見て、気づいたことを記しておく。 
 
 
 
 日本国の本州島の奥羽(東北地方)の南域の会津戦争で明治時代が始まる(明治元年9月)。その明治政府は琉球国を併合し、日清戦争後、台湾島をも併合し統治下にした。北海道のアイヌ民族も同じように明治政府の統治下で、この3つの諸民族が行っていた入墨(いれずみ)を中止させる。
 台湾の日本政府(台湾総督府)は、10余ある台湾先住諸民族の伝統的機織りも禁止する。そして山岳地帯から湿地帯に強制移住させ水田開発に従事させる。
 写真に残る明治生まれの機織り女性らは、顔に入墨(いれずみ)をしているが、その人たちが千年来の伝統機織りの伝承者であり、1945年の日本の敗戦後に、台湾の先住民族(現地台湾では原住民族と呼ぶ)の文化復興のなかで、中心を成す人々は明治時代生まれの人々で、そうした人たちを祖母に持つ青年らであった。
 
 私は1959(昭和34)年生まれで57歳。父母は昭和7年、8年の生まれ。私の父方の祖父母は明治時代の生まれ、私の少年時代に同居していた曾祖母は明治8年生まれでカラムシ、アサの生産・製繊維・糸作りをしている。祖母は糸作り機織り。父母は畑の作業でカラムシ、アサの栽培を昭和40、50年代まで行った。
 
 台湾でも同じように、私と同じ世代が1945年以降の経過のなかで、自らの郷里の人々の文化の象徴としてのカラムシ(苧麻)織からはじまり、栽培への遡及を行っている。どこも同じだが、栽培とは農業のことである。そのため現代社会では農業は中心的な産業(生業)ではないため、農業、土から離れた生活が文化的である、という理念から、土、農という生業は多くの人々の中心的なものではない。
 
 一方で、手仕事(日本でいうクラフト運動、生活工芸運動を含む)は、現代人の精神を開放(解放)し、「健康のための人生」にとっては不可欠なものになりつつある。それはヒト(人類)の原初的形態、手を使う意味への回帰、発見となっている。
 その次に、農的生活、つまり地球の大地と、どのように関係性を保つのかという主題に回帰することになる。手仕事が扱う素材は地球の山野が育てた非栽培物であるが、生産管理が行われ(林業的な)、それが販売物になっていく流通ルートが創設されると、原料不足がはじまり、農的な栽培が行われる。その際、土地(畑)の意味が大きく意識される。
 
 台湾で、畑は山田というように表現している(文献上)。諸民族が母語で、畑をどのように表現しているのかは、今後の渡航調査で行う予定だが、焼畑、常畑、あるいは作物の輪作など、手仕事からの原料生産地としての自己認同(アイデンティティ)は、地域性を伴うから、それは暮らす地域内での畑の存在が大きな意味を成す。
 日本の現状では、米(コメ)と言えば水田ということになるが畑作地の関東平野・武蔵野台地でも同じだが、畑に稲(イネ)が植えられていた。陸稲(おかぼ)である。山に田を拓きイネを植えたという通訳を聞くと、水田耕作を行ったような印象を受けるが、畑を拓いて陸稲を植えたということがわかる。今回のタイヤル(泰雅 atayaru)民族は山田でカラムシ(苧麻)の跡に稲を植えた、と語る。
 
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 3月13日、台北市の都市部から鉄路で西域の桃園市に移動した。その際、車窓から水田が見え始める。小区画の水田には水が入れられ、シロカキが行われ、田植えを待つ状態のものが多く、一部に植えたばかりの稚苗が弱弱しく見える。田植えがはじまった、という状況で、奥会津でいえば5月の中旬である。
 
 3月15日、国際空港のある桃園市から南路、台湾高速鉄道(新幹線)で台中市(台湾島中域の西部)に移動すると、すでに水田は青々(実際には緑色)としたイネが水面から20cmほど伸びた状態で風になびいている。奥会津でいえば6月の風景である。
 
 さらに南下すれば台湾南部では、同一圃場(水田)で、1年間に3回のイネの栽培が行われていたが、現在は減反政策のため2回に抑えられている。台湾島、日本の九州島等も同じだが、水田で稲を1年間に2回栽培することが通常的に行われている。
 このイネの第一回目の植え付け時期が、カラムシ(苧麻)の定植時期になっている。収穫も通常カラムシは台湾島では3回でその植物幹は長い(1m超え)。日本の沖縄県の八重山諸島では住宅周囲の畑で5~6回の収穫が行われ、それは短い(0.6m)。
 収穫適期は、利用する状態により要求が異なるが、台湾島の場合は、日本の奥会津(昭和村)の事例に近いように思われた。成熟前の繊維(柔らかい、裂けやすさなど)、求められる品質により、用途により、収穫時期は異なる。それは繊維(植物の)成熟度をどのように見極める指標を持つのかによる。布用の場合、紐や袋、網袋を製作するための繊維か、強度か繊維自体の長さか、、、によっていると思われる。
 
 
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 地球上の博物館等に残された台湾先住民の衣装類が、調査され、復元作業を通じて、織の復元等が行われている。そうした後に、素材生産の段階に入っている。
 先住民のカラムシ(苧麻)生産は、明治時代から1945年までの日本統治下で、かなり異常な工業的原料生産として行われているため、その技法の多くをどのように考えるかは、今後の調査・研究が必要となっている。
 一方で、台湾島の苧麻栽培関係者は、中国大陸のカラムシ生産の拠点の湖南省等の栽培事例(大規模生産、機械化、品種開発の近代化)の視察・調査も行われている。そうした調査事例の写真を拝見する機会にも恵まれた。
 このような事例から視察訪問者の一人は、「私たちの選択はふたつあり、大陸の大規模な苧麻生産を知ったことで苧麻栽培を中止するか、継続するかのどちらかである」と語られた。しかし継続する道を選択された、という。その際、継続する意味は、やはり祖先が行ってきた栽培事例の研究と究明と、現代的な合理化栽培という創始を含み、そのなかで、苧麻が繊維生産の作物だけの狭い有用植物ではない、という発見になっているではないか?と私は感じた。苧麻繊維の生産で中国大陸と競争しない道を、植物自体の持つ多様な価値、それには徳島県の木頭の太布生産で行われているような「生きがい作り」も含まれている(今年になり徳島県の伝統的な太布生産(カジノ木)が日本政府の民俗文化財に指定された。それは商品生産ではなく、生きがい・健康維持が目的)。
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 振り返って見ると、固定した考え方で、奥会津の苧麻生産・栽培について聞き書き(インタビュー)を行っていることに気づく。質問したことに回答されたことが、その全体像ではないため、質問の項目、仕方を変えることが求められる。そして、帰郷後すぐに、数人の古老を訪問して、日本での事例について話を聞くことにした。それは行われなかったのではなく、聞かなかったから話さなかったということが、いかに多いことか。カラムシ繊維の加工技術は、現代的な意味での統一技法が、過去のものではなく、現在の規格に求められる品質により統一化(画一化)したもの、、、、、それはカラムシだけでなく、植物素材の編み組技法でもみられる多様性の欠如、、、、に、私たちの思考法が拘束されていることによる。
 遺跡から考古学的な調査法により発見される遺物には、現在の技法では解明できないことが多い。素材についても同じである。
 
 未完(菅家博昭 述)。 
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  台湾島 北西部 桃園市 3月13日 シロカキ(代掻き)した水田、田植えがはじまった水田。
 
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  3月15日、台湾島 中部 台中市付近の水田
 
 
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 3月16日、台中市北東域の水田 
 
 
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  2017年3月16日、午後、菅家博昭撮影。台湾島の大安渓流 象鼻村 野桐工坊。
 8穴×13穴(104本)のプラグトレーに播種された苧麻。
 
 播種後、3週間ほどで発芽しているようだ。露地で管理されていた。
 野桐工坊では、苧麻栽培班と織物班があるようで、男性が栽培班を構成しているようでした。また関連し、域内の苧麻栽培農家も15軒まで増やしているようです。
 
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 台湾苧麻、赤芯種。
 
 
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